2004/12/01UP


無知の知

 ネットを介した社内の原稿検索システムがある。「角田」や「窃盗」などキーとなる単語を入力すると、それぞれの言葉が含まれたすべての原稿を過去に遡って閲覧することができる。取材対象の同種事例の扱いをチェックしたり、原稿のスタイルそのものも確認できたりするから、便利なことこの上ない。先日、たわむれに自分の名前を検索してみた。本紙は基本が無署名記事で、取材者の名前が入るのは解説や企画といった特別な原稿に限られる。ストレートニュースと違って個人の主観が入るケースが多いから、自分の主張や思考の足跡そのものといってもいい。過去十年間。夜が更けるのも忘れ、百本以上並んだ署名記事の見出しを、ゆっくりと目で追いかけた。◇「高校野球県大会」の解説記事。もっともらしく選手育成の方法に注文なんかつけてるぞ。「児童虐待」の連載記事の翌月には、刑事、民事の判決の分析。かと思えばコメの流通問題の取材で福島になんか飛んでる。ちょっと画面をクリックすると身体障害者のノーマライゼーションの 現状ルポ。おやおや。このころは確か事件記者だったはずなのになあ。何やってんだろ。◇その時々。担当記者としていやおうなしに手がけたものもあれば、興味関心のおもむくまま、奔放に取材し、無理やり原稿をデスクに売り込んだものもある。テーマを絞り、専門記者のように一心に追いかける手法もあったのかもしれない。でも、ことが署名記事だけに、無知をさらけ出したり、問題の本質を見誤るような間違いだけは避けようと心がけてきた。たとえ付け焼刃の知識しかなくとも素人感覚で専門家に教えを請い、多様な社会事象の一端をのぞけたことは、記者という職責をさっぴいても 余りある財産になっている。◇そして今。政治、経済、事件事故。支局の業務は管内にあるすべての事象といっていい。私が浅薄な知識、経験しか持ち合わせていないのは自明のこと。今更恥じる気はないし、 その必要もないないだろう。「無知の知」。哲人の名言をかりれば取材の要諦はまさにそこにある。知らないからこそ理解したいし、理解がなければ他人に伝えることなどできはしない。自分の無知を悟る瞬間。それは新しい知識に出会う感動と興奮も意味している。さて、来年はどんな驚きが署名記事の列に連なるのだろう。