2006/05/01UP


インドのパパ

 ◆…学生時代はよく海外旅行をした。いわゆる貧乏旅行で、かばんに着替えと小説を詰め込んで、観光地でもない、知らない国の知らない街をうろつき回った。費用を捻出するためアルバイトに精を出しすぎて、大学を1年留年するというおまけは余計だったが、忘れられない思い出がたくさんできた。一番の長旅は大学2年の春。観光地巡りをするのも何だかつまらなく感じられ、インドとネパールを約2カ月かけてバイクで旅することを思いついた。◆…カルカッタからネパールの首都カトマンズを経由して、ニューデリーまでの約3000`。原付バイクを600ドルで手に入れて、2枚の地図を頼りに大まかなルートだけを決めて走り出した。 茶畑に囲まれ山の斜面にへばりつくように広がるダージリンの街。長い山道の最後に、突然姿を現したヒマラヤの山々の圧倒的な存在感。毎日毎日、飽きもせず食べたカレーの味。地図に書かれていた「ハイウェー」の記載を信じて進んだら、大きな川の中へ道路が消えていて、立ち往生したこと。森林地帯を貫くひとけのない道路で、猿の一種だと思うが、真っ白な動物に遭遇して逃げるようにアクセルをふかしたこと。それらの光景や場面を何かの折りに思い出す。◆…とはいえ旅の面白さを印象付けたのは、何といっても人との出会いだった。言葉はあまり通じないながらも「家に遊びにおいでよ」と招いてくれた2人組の青年。ヒマラヤのハイキング中の山小屋で一緒になり、地酒をおごってくれたネパール軍の兵隊たち。外国人の、それもバイクでの旅行者が珍しいらしく、「仕事は」「結婚しているのか」「どこまで行くのか」と質問攻めにしてくれた田舎町の人々…。今では名前も、どうしているのかもわからないけれど、彼らの笑顔だけは記憶から消えない。◆…中でも忘れられない人がいる。カルカッタで免許の取得とバイク購入のため、2週間ほどホームステイさせてもらった家庭のご主人。観光局の紹介でお世話になることになった。保険の手続きや免許取得のための警察との交渉など、無理な注文に付き合わせてしまったのだが、出発の日、奥さんが作ってくれた弁当を手渡しながら、「インドのお父さんと思って、困ったことがあったら何でも相談してください」と力強く手を握り、見送ってくれた。10年以上経ってもなお、その朝の感激を思い出す。◆…角田に赴任してから、早いものでもう1年。転勤族の自分にとっては、支局暮らしが旅のようでもある。この街でも、多くの人と言葉を交わし、酒を飲んだ。自分で勝手に思っているだけだが、「角田のお父さん」「角田のお兄さん」と言えるような人が少しずつ増えるたび、幸せな気持ちを噛みしめている。