2004/07/01UP


英語オンチの独り言

 先日、角田市の姉妹都市グリーンフィールドからの訪問団の取材で、何度か一行と触れ合う機会があった。せっかくだから角田市の感想でも聞いてみようかな。軽い気持ちで女性の一人に声をかけた。「・・カインド・・マウンテン・・・」。???。どうやら「角田の人は親切で、山の景色がすばらしい」といった趣旨らしいが、単語の端々しか聞き取ることはできない。表情から察するに、少なくとも嫌悪感を持っていないのは分かった。「良い所だから、すばらしい思い出を」なんて、機転のきいた即答ができる語学力が当方にあるはずもない。とりあえず「そりゃよかった」と「日本語」で胸を張って話してみた。言葉が伝わらないのは百も承知。少なくとも敵意を抱いてないことぐらいは分かってもらえたに違いない。ちょっと困惑気味の彼女の表情が気にはなったけれども・・。◇中学、高校で3年ずつ。おまけで大学4年間。まじめに取り組んだとまではいかないけれど、とりあえず赤点をとらないぐらいの勉強はした。都合十年。母国語なら、子どもでも自在に操れるようになる年月だ。で、今の自分。「ナイス・ツー・ミート・ユー」。ここまでは良い。というか、これが限界。もうちょっと何とか話せてもいいようなものなのに・・と悔しい思いもするが、社会人になってからは語学力不足を思い詰めることもやめた。幸い、仕事で外国語を必要とするケースは少ない。かつて留学生(といっても日本語は不得手)を相手に長時間インタビューに挑み、身振り、手振りの悪戦苦闘を繰り返すこと数時間、「宮沢賢治の世界観」というお堅いテーマの原稿を仕上げたこともあった。正直、「英語ができれば」と思うことがないわけじゃない。でも、あんまり真剣に考えて卑屈になるのも居心地が悪い。以後、「黙ってるぐらいなら日本語で押し切ろう」と腹を決めた。◇英語特区をとった角田市で、今年から小学生への英語教育が本格化している。小学校の教育現場を訪れて、「習うより慣れろ」の真意を知った。英語指導助手に屈託なく英語で話しかける子どもたち。苦吟、呻吟する姿は見受けられない。もしかしたら、自分たちが異文化に接しているという自覚すらないのかもしれない。英語に限らず様々な母国語が飛び交い、多彩な文化が共存する世界。その多様な世界の一端を、教室という空間で体得している子どもたちがうらやましく思えた。◇均質、統一された社会では、ちょっとしたずれが異端を生む。言葉、容姿、生活態度。そこでは、ささいな異質が排他を呼び、他人を尊重し、寛容に受け入れる度量は失われてしまうだろう。だが、世界の多様性とその重層性を体得した子どもたちなら、きっと隣人にも優しくなれるに違いない。どんな語学も所詮はツール。英語教育が語学力を磨くだけでなく、世界の成り立ちを知り、共存社会の意味を習得する場にもなってほしい、と願う。