2004/04/01UP


地域の財産

 数年前、短い夏休みを利用して東京方面に旅行した。湾岸の再開発地域に宿を定め、3日ほど周囲の観光を楽しんだ。見事なイメージで統一されたショッピングモールに巨大なイベントホール。まるごと一つの街を作り上げる巨大資本の技に、ただ感嘆するしかなかった。ごみ一つ落ちていない石畳。すれ違う人々も楽しそうだ。でも、何か足りない。帰途、アクセス鉄道の車窓から眺めたマンション群に空疎感の理由を知った。◇西日を受け、白い壁面が輝く。おそらく一棟で百単位の世帯は入居しているであろう偉容が、まさに林立していた。整然と窓が並び、入口ホールの植栽までが人工的な緑色を発している。小さな村や町ならすっぽりおさまってしまいそうなコミュニティーがそこにはあるはずなのに、不思議と人の臭いが感じられない。通行人に過ぎない私の勝手な想像にすぎないとはいえ、直線的で幾何学の模様みたいな風景は、時として雑然とした人間の生活とは無縁に思えて仕方なかった。第三者によって巧妙にデザインされた街で、世帯単位で分断された住民は自分の手で街を描くことはできないだろう。便利で綺麗で機能的。ただそれだけだ。自分の意志が入る余地のない街に魅力は感じられない。◇あらためて市内を見る。そこここで市民グループが街づくりを論じ、有志が古里を少しでも彩ろうと小規模でもイベントを仕掛ける。理念があり、理想があり、呼応する人々がいる。古い歴史に根ざした土地もある。ヒト、モノ。都市部にあって地方にないものはたくさんある。足りないものを挙げればきりがないが、こと街づくりに関しては地方にしか残されていないものも多いだろう。今、市内では丸森町との自治協議を機に、街づくりを再考する機運が生まれている。「街の将来像に関心を持ち、自ら参加する」。今後、そんな住民パワーと、それを受け入れる柔軟性に富んだ地域性そのものがかけがえのない財産になるに違いない。