2022/2/1UP


携帯電話と手紙とドラマ

 最近、恋愛が減りました。新年早々、ドキリとさせる書き出しですいません。テレビドラマの話です。十数年前まで、連続ドラマは大半が恋愛メインの物語でしたが、最近は医師、銀行員、弁護士、警察官など職業系の内容が増えました。なぜでしょうか。携帯電話や電子メールの普及が理由と聞いたことがあります。いつでも男女が連絡を取れるので、すれ違いや待ちぼうけが生じません。これで恋愛ドラマの面白みが薄れたそうです。確かに「東京ラブストーリー」の時代に携帯電話があれば、物語はハッピーエンドに終わり、名作ドラマとはなり得なかったかもしれません。ドラマで電子メールや通信アプリを使う場面は増えている半面、手紙がドラマに登場するのも少なくなったような気がします。別れの手紙を読んだ登場人物の涙で便せんの文字がにじむといったシーンも見なくなりました。  なぜ角田でこんなことを考えたのかというと、市郷土資料館で手紙に触れる機会が多いからです。仙台藩祖伊達政宗の次女で角田館主石川宗敬に嫁いだ牟宇(むう)姫宛ての手紙約150通が保管されています。解読内容や手紙の写真、原文などをまとめた本「牟宇姫への手紙」1、2巻の発刊を取材しました。差出人は、政宗や姉の五郎八(いろは)姫、男のきょうだいたちです。五郎八姫からの手紙は「ゆっくりと城に滞留し、お父様にお会いできてよかったですね」など、何げない語り掛けが目立ちます。資料館長は「現代ならば携帯電話のメールでやりとりするようなくだけた内容」と解説しました。それでも筆による手書きの文面となると印象は違います。温かな姉妹愛が時代を超えて伝わるように感じ、2人が交流する場面をドラマのワンシーンのように想像しました。  携帯電話や電子メールが便利なのは言うまでもありません。私自身もなくなると困りますが、情愛に満ちたドラマが生まれにくくなっていると考えると寂しさも募ります。だからでしょうか、資料館を訪ねるたびに「角田は手書きの手紙文化を見直せるまちになれそうだ」との考えが膨らみます。かつて秋田県二ツ井町(現能代市)で取材した「きみまち恋文全国コンテスト」を思い出します。東北巡行中の明治天皇が長旅を気遣う皇后の手紙を町内で受け取ったというエピソードにちなんで1994年度に始まったイベントです。最終回の2003年度まで全国から多くの恋文作品を集めました。角田でも手紙に地域活性化のヒントがあるような気がします。 さて「牟宇姫への手紙」2巻には、村田城主だった兄の伊達宗高が江戸参府の際に送った手紙も多く収録されています。宗高は江戸から京都へ上洛した後に天然痘で急逝しました。本は「手紙は形見となったに違いない」と解説しています。想像ですが、牟宇姫は兄の死を知らずに手紙を送っていたか、手紙を待っていたかもしれません。携帯電話があれば、こうしたすれ違いはまず起きないでしょう。悲報が京都から角田に届くまでの間、兄が上洛した姿を牟宇姫が楽しげに思い描いたとすれば胸が詰まります。この時ばかりは牟宇姫や伊達家に携帯電話を貸してあげたいと思いました。こういう気持ちになるのも、手紙が生むドラマのせいでしょうか。


角田市郷土資料館で開催されている「内留」展

資料館で昨年開かれたひな人形の企画展