2012/1/1UP


あすを信じて

 東日本大震災の発生からまもなく10カ月が経過しようとしています。河北新報読者の皆様、そしていつも「あんふぃに」に目を通してくれる皆様、地域再生を目指す「復興元年」の2012年を迎えました。夢と希望を持ち続けられる年になるよう心から願っています。人類史に刻まれるであろう2011年3月11日。激しい揺れ、巨大津波、原発事故という恐ろしい経験の一方で、人の心の温かさに触れることができた1年でもありました。また新聞記者として、市民として、一人の人間として何ができるか、今回ほど考えさせられたことはありませんでした。地域の絆が失われない限り、必ず東北の地は輝きを取り戻せると信じています◆では何をもって震災からの復興といえるのでしょうか。いつ復興は達成されるのでしょうか。被災前の生活に戻ることだけが復興ではありません。先日、社内のある同僚が言いました。「河北新報の紙面で言うと、全ページから『震災』の文字が消えたら復興なのでは」。とてつもなく遠い未来のような気もします。それでも以前と比べ、震災と関係の薄い記事は日を追うごとに増えています。夏ごろまでは「震災以外の原稿は載らない」「全てのニュースは震災と関わっている」といった風潮が社内にありましたが、最近はそうでもないようです。震災取材が最重要なのは、今後もしばらくは変わりません。ただ、震災と関係ない記事を1本書けば、「震災」という単語が紙面から減り、復興に近づくのだという気持ちで取材、執筆を心掛けています。決定権はないので無責任なことは言えませんが、現在休載中のコーナー「みちのく」「デスク日誌」「足報ワイド」などの復活も、ひょっとしたら今年はあるかもしれません◆もちろん、震災犠牲者の思い、津波防災への備えなど、後世に伝えなければならないことも多々あります。亘理町で11月中旬にあった小中高生の意見発表会を取材し、ある中学生が「これほどの甚大な被害があったのに、余震が起きる可能性があることを早くも忘れていないか」と訴えました。核心を突いた指摘に、大人の私は正直ドキッとしました。10代の少年に教えられたのです。震災の傷を癒やして忘れることと、教訓を心に刻むことは決して矛盾しません。時には後ろを振り返ったり、節目節目で「3・11」に思いをめぐらせたりすることも、復興への大切な手順、道のりではないでしょうか。みんなで焦らず、一歩ずつ。本年もよろしくお願いいたします。