2011/8/1UP


つぶやき挫折なう

 仕事用とは別に、私用にもう1台持っている携帯電話を4月、多機能型携帯電話(スマートフォン)に買い換えた。新しいもの好きな性格ではなく、あまり興味はなかったのだが、インターネットの短文投稿サイト「ツイッター」を始めた。といっても、既に過去の話。現在も登録中なので閲覧はできるものの、5月中旬の投稿を最後に自分の書き込みは途絶えた。もともと三日坊主なところがあり、長続きするとは最初から思っていなかった。三日坊主と言えば話は逸れるが、昨年9月に本欄で宣言した禁煙については、おかげさまで継続できており、まもなく1年を迎えられそうだ◆救助や支援物資を求めたり、ライフラインの復旧や店の営業情報を伝えたり、情報源としてのツイッターの有効性が、東日本大震災で大きく注目された。機能停止したホームページに代わり、ツイッターで被災状況、避難所情報などを知らせる自治体もあった。公的機関に限らず、個人が情報発信できることも強みだろう。パソコンを持ち運べない外出先でも携帯電話さえあれば「今、○○を食べている」といった日常の様子から、ニュースを見て感じたことまで、気軽に投稿(つぶやく、ツイート)することが可能だ。他人の投稿を引用して再投稿(リツイート)することで、情報が瞬時に拡散されるのも特徴。自分の投稿を閲覧する登録者(フォロワー)が多いほど広がりが大きく、個人レベルと侮れないほどの情報発信力を持つ。政治家や芸能人、スポーツ選手ら有名人になると、数万~100万人のフォロワーが見ている場合もある◆ではなぜ、こんな便利な道具を使うことをやめてしまったのか。私は今回、河北新報という看板、記者という立場を伏せてツイッターに参加した。記者として業務上知り得た情報は原則、紙面もしくは弊社のホームページを通じて紹介すべきだと思っている。会社から許可された場合を除き、取材に関わる内容は投稿しにくい。そうなると、仕事以外に目を向けるしかないが、震災取材の時間が生活の大部分を占める現状では、他につぶやく内容を見つけられなかったというのが正直なところだ。家族のこと、趣味のことなどをつぶやくことができれば、もっと楽しめたのかもしれない。どうせ投稿するからには独り言ではなく、面白いことを書いて注目されたい。そんな風に欲の皮が突っ張ってしまうけれど、本腰を入れる余裕もない。結局、ツイッターから遠ざかるしかなかった◆河北新報でも「夕刊編集部」などの名前でツイッターに参加し、震災関連の生活情報発信を続けた例はある。記者が街を歩き、目の前の状況をリアルタイムで伝えるやり方は、紙面ではなかなか真似できない。記者がツイッターに取り組むためのルールを会社組織として確立できれば、新聞社でも使い道は無限に広がる。ちなみにツイッターは短文なので、1投稿140字以内。一方の本欄は毎月、1000字を超える。気軽に書ければどんなに楽だろうか。