2008/5/1UP


わたしたち

 ◆…ニュースで政治家のコメントを聞いていて、「わたくしは」という言葉が耳について仕方がない。借り物の考えではないことを強調し、自己の存在をアピールするために生まれた政治家特有の話法であるのだろう。だが一方で、役職上の責任を逃れるため言質を取られぬよう、私見であると断ることを意図して使われることも少なくない。いずれにしても、当人が意識しているかどうかは別にして、「政治家」と「国民」の間に線を引き、別の主体として捉えていることから生まれてくる言葉であるように思えてならない。◆…選挙民の代表者である政治家が、「わたくし」を連呼することは根源的な誤りを含んでいる。国民に代わって政治を執り行うという本質を忘れ、「してあげる」という発想に陥ったり、自分が一段高い立場にいるとの錯覚にとわられたりする危険をはらんでいる。中には、支配者と被支配者という封建時代ばりの誤った関係意識を持っているのではと疑いたくなるような御仁もいる。民主主義においては、主権があるのは言うまでもなく国民だ。だから、政治家の語る主語は多くの場合、「わたしたち」でなければならない。だが、日本の政治家でそれができている人を見つけるのはなかなか難しい。◆…そんな中、注目しているのが米大統領選の民主党候補者指名レース。ヒラリー・クリントン上院議員とオバマ上院議員、どちらが大統領に選ばれても、「女性初」「非白人初」という歴史的な事件となる。実質的に世界最高の権力者である米大統領が政治的マイノリティーから選ばれることにより、何が起きるのか、あるいは何も変わらないのか、「女性」や「非白人」というくくり方自体が意味をなさなくなり社会的な障壁が薄れたことを証明するのかなど、色々な意味で目が離せない。両者の政策そのものには大差はないとされるが、演説ぶりには大きな違いがあるという。「支持を得る演説の技とは?」というタイトルで、二人を比較する記事を朝日新聞が掲載していた(4月20日付)。◆…オバマ氏はその演説のうまさから、若くして大統領候補にまで上り詰めたとされる。特徴的な決めぜりふは、Change(変化)、Hope(希望)、そして「Yes we can(わたしたちはできる)」の三つ。一方、クリントン氏は自らのリーダーシップを強調する戦略で、「I(わたし)」を主語に語ることが多いのだという。◆…閉塞感が漂う時ほど、人々は強力なリーダーシップにすがる傾向にある。確かに、力のある誰かにすべてを委ねるのは、面倒がなくてよさそうだ。だが、強力な指導者は一歩間違えば独裁者へと姿を変える危険性を持っている。例えば戦前のドイツのように、歴史上、道を誤った例はいくらでもある。民主主義の総本山であるアメリカさえ、ブッシュ政権が対テロ戦争を旗印に大義なき戦争に突き進むのを止められなかった。「おれが」「わたしが」というタイプの指導者を迎えるのは実に危なっかしい。◆…ところで、市長選の告示まで三カ月を切った。どんな候補者によって選挙が戦われることになるかは現時点では確定していないが、オバマ氏のように、変化と希望を語れる人物が現れることを願っている。また、国政レベルから市町村まで、政治への無関心はひどくなる一方だが、言葉の使い方、心の持ち方一つからも、散り散りになった人々の「きずな」を取り戻せるかもしれない。政治にそっぽを向いた市民の心を揺り動かし、やる気を失いかけた市職員をよみがえらせ、農商工各団体の潜在力を引き出す。その魔法の言葉が「わたしたち」ではないだろうか。「わたしはこれをやります」という空手形ではなく、「わたしたちでこれをやりましょう」と、力強いメッセージを発する政治家が登場することを期待している。